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メモリアルフォト
● バースディ ディナー
12月16日は、女房 真理の誕生日。
1985年(満22歳)より、毎年話題の人気レストランを必ずリザーブ。
愛情と感謝を込めて、万障繰合せの上、祝いのひとときをを共にしている。 |
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> Photo Album |
随筆 「親父・息子 そして 奥さん」 2004年10月 記
私を取り巻くファミリーのプライベート“トリビア”を恥ずかしながら、一挙公開しましょう。
まずは、超高齢の「親父さん」、続いて、超学生のひとり「息子」、そして、超年齢差の「奥さん」です。
親父 「信徳」は、明治生まれの「江戸っ子の床屋さん」。戦前には文京区湯島に店を構え、地元天神様のお祭りでは町内の顔役的存在だったとか。老いても益々盛んで、昨年は新宿・花園神社の節分祭にて、八度目の「年男」を祝い豆まきをした。明治41年申年生まれ満96歳になる。床屋さんを定年で退き、以後悠々自適の生活。
今では、広めのマンションに一人住まい、炊事・洗濯・掃除何でも、人の手も借りずこなしている。他人からよく聞かれる「長生きの秘訣は?」には、必ずこう答えている「それは、独りで住むことヨ!、廻りに気を遣うことなくマイペースで生活をエンジョイ出来る」これには納得するしかない。
週末には、必ず一緒に食事をするが、耳が遠くなった以外は10年来変わず、好奇心は益々旺盛である。海外旅行にも目がなく、近年もハワイ・上海などにも付き合わされた。
いつぞやパスポートの書き換えの時、10年有効のにしたら、係員から拍手をもらったそうである。1908年生まれで有効期限は104歳迄になっている。一番感心するのは、何時云っても家の中がきれいに整頓させていること。先日は、珍しく疲れた顔をしているから「どうした?」と、聞いたら、ベランダを片付けペンキを塗ったと自慢げに云うので見たらびっくり、ぐるーと取り巻く全長10b余りのコンクリートの床をグリーン色に、それもむらなくキレイに仕上がっていた。これでは誰がやっても腰が痛くなる。
主治医の先生はご近所に居り、毎朝、散歩の帰りに通っており身体のチェックは怠りない。危ないアブないでなにもやらせないより他人に迷惑を掛けない程度であれば。いつも覚悟はしながら自由に行動させることにした。暖かい眼差しで見守って下さっているご近所の皆様の真心に甘えつつ、まだまだ、シングルライフを楽しんでもらおう。
息子 「洋規」は、26歳にもなってまだ「学生」。研究員として学校に残りたいので40歳過ぎないと、自立は出来ないと云っている。当面は、民間で働くつもりはないようだ。
流行りのニートとは違うが「バイトをするぐらいなら、収入がなくてもその時間を有効に使った方がよい」と考えている。小学生の時から「将来は学者になる!」と言い切る変わり種であった。
現在は、京都大学の理学部大学院生、修士課程が終わって博士課程に在籍中である。
大学入試の時、東大は大きすぎるからといって京都へ。新幹線に自転車を持ち込み、学校から10分くらいで通えるマンションを探し今でも住んでいる。親子のコミュニケーションは、協会「大阪ネイルフェスティバル」の時に取っている。毎年、開催前日には必ず京都に一泊し案内させている。「珍しいところ連れてけ」「旨いモノ食わせろ」と、プレッシャーを掛けているので、お陰様で、京都の夏には詳しくなった。昼間は神社仏閣を廻り、夜はお茶屋さんというパターンで7.8年目になるが、毎回、新たな発見があって楽しい。先年、広隆寺で「千手観音」を拝観したとき、これをネイルの神様に奉りたいと思った、優雅な指先の表情は正面に安置してある「弥勒菩薩」と共に業界の行く末を守って頂けそうである。夜は祇園のお茶屋さんが多い、夏なので川床料亭には、鴨川縁から遠くは、高尾、貴船まで、ちょっとうるさくなった。年に一度の心地よい京都弁は欠かせぬ我が歳時記であり「大阪フェス」の継続決定は私的には安堵である。
「クレーマー・クレーマー」の少年期に、良く海外に連れて行ったので、その癖が抜けぬと云って、金のないくせによく出かけているようだ。英語の発音を直すと言って、ロンドン郊外の大学に留学したり、ドイツやモロッコからメールが来たりする。アジア諸国探訪を、研究没頭の息抜きにしているとか。最近、中国語の発音が本物らしく感じられると思ったら、中国人の可愛いお嬢さんを連れてきた。勉学一筋でもないようなので、ホットしている。
女房 「真理」は、石川県加賀市の出身、三姉妹の末っ子でお父さんの期待を背負いひとりだけ東京へ進学。これが運命を変えてしまった。早稲田大の演劇科に通いながら身長(173p)を活かしてモデル活動をしていたときに、バツイチの中年男にビビビッと来てしまい、2年後に両親の出席を仰ぎホノルルで挙式。出会った時の年齢は2倍以上、22才の年齢差で、義父さんの心情には未だに頭が上がらない。
今年の年始は、地元「橋立」にてブランド蟹と温泉で歓待して頂いた。彼女の誕生日12月16日にはどんなことがあっても、必ずレストランで祝っている。メモリアルフォトも必ず取っており、野次馬の期待をよそに昨年末にて写真が20枚になった。共通の癒しは、もっぱら東南アジアとハワイでのリゾート。それにしても懐かしのプーケット・ピピ島等のどんどん広がる津波災害は心が痛い。
ワイキキでの最近の定宿は、協会事務局の柳沢さんに紹介して頂いた超安値のカジュアルホテル、室内から持込みのパソコンが打てるのがご機嫌で、4,5回利用している。
しかし、奥さんが昨春から専門スキルを持って弊社に入社し、二人同時に休暇を取るので難しくなってきた。シーズン一度だけの海外と普段は「ラクーア」と「庭の湯」で我慢している。
何時までも変わらずのライフスタイルと精神年齢を保てるのも、協会にては講師会の皆様と議論出来るのも女房のお陰といつも心から感謝している。親子は同じDNAを持っているので、一般的には不可思議なことでも何とか理解でき安心だが、彼女は全く違う環境で育っているので難しい。常にテーマに向かって一生懸命な人で、能力が全開できるヤリガイのある「幸せ」な楽しいポジションを全知を使いプロデュースしてあげたい。
他にもいろいろな親戚はいる、訳ありで在米30数年になる従姉妹たち、特にMichi(美千恵)は、生花の世界で女性で初めて全米チャンピオンになった怪女(?)日本にいる妹(早恵美)の粘土人形作りには目を見張るモノがある。甥たちには、JRA(中央競馬会)の馬丁や、Jリーガーを目指す星陵高校サッカー部員もいる。
3人をはじめ皆さんからは、常にパワーと刺激を貰っており、恵まれた環境と云える。
このエッセイのタイトルは「My Favorite」でしたので自らを語らなければならない。
美術専攻の学生時代から、お気に入りと云うか夢中にしてくれるのが、ライフワークとしている「環境創造」活動。個人的には料理創りと人物素描、デカくは都市計画・空間デザインまでが熱き心にさせてくれる。料理はバツイチ独身時代に厨房と仲良くなり覚えた、習作が無駄にならず食べられるところが良い。
今年のおせち料理も黒豆以外はすべて作った。社会的には、好きを仕事に!をモットーに、男のロマンを求めて60年代の原宿族づくりから、「MUGEN」、「ジャンジャン」等での新風俗主張、70年代末にはLAの在米日本人美容師100名以上を集めての「KAMIKAZ(髪風)」発足が懐かしい、同時にネイルの世界にも填り早くも20数年、遊び心だけは忘れずに流れに竿刺し、現実主義を熱く主張を貫き通してきた。昨秋のNAIL
EXPOでは、ネイルの魅力を社会にアピールする絶好のチャンスとして、ユーザーとメディアに多角度からのビジュアル表現を試みた。協会幹部からは未だ「木を見て森を見ず」発言が多いのは保証なき現業態では止む終えないが、時が説得してくれるでしょう。制作段階でショッキングなドクターストップを受けたが何とかやり遂げられた。とうに定年過ぎの我が身、実務活動は、負担を軽減した計画書を添えて、速やかに世代交代を図ります。
私を取り巻く「トリビアの泉」皆様からは「何へい!」頂けましたか?
森には光が射し、新芽が吹き花も咲き始めたので、ファイナルステージは、Nail-Favoriter達の為に、
協会の環境整備に奉仕しましょう。
内容を一部変更して、日本ネイリスト協会機関誌 [NAIL NEWS ] 51号 掲載 |
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