■ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・1985・・「ベストヘア・アウォード」にネイル部門 |
.
床屋業界の技術コンテストとしては、全理連(組合)主催の全国大会と双璧であり、唯一の ショウアップできるイベントが実質、理美容教育出版主催の「全日本理美容総合選手権大会」 毎年総合チャンピオンを選出し全国縦断デモを経てプロへアスタイリストを輩出してました。
この大会のディレクター役を任され、まず社会にアピールできるイベントに変身させるため、 メディアを意識して、タイトルを「ビュートピア」と改名、新プログラムを追加しました。
コンテストには、ネイリストのパイオニアたちを喚起するために「ネイル部門」を新設し、 さらにマスメディアにアピールするために「ベスト・ヘア・アウォード」を実施しました。
このステージには、スポンサー[アデランス]を付け、男優・女優・歌手・タレント・文化の 「ベストヘア部門」と共に、「ベスト・ネイル部門」も表彰しました。
第一回のネイル部門の受賞者は、当時話題のジョン・シェパード<千昌夫さんの前妻>さん 以来毎年、部門別に人気絶頂のタレントさん4〜5名を選出し、芸能誌を賑わせました。
ビートたけしさんが、授賞式に多忙を切分け出場してくれた時のことは鮮明に記憶しています。 わざわざ、九州のロケ先からヘリを含めての移動、当時からご本人は受賞は大好きの様でした。
後年の「ネイル・クィーン」プロデュースへの原点デス
→戻る |
|
|