■ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011・・ネイル・テクノロジー |
ネイル・テクノロジー NAIL TECHNOLOGY
〜 日本におけるネイル産業の展望 〜
1980年代に日本に上陸した「アメリカンネイル」が、如何にして日本の風土に馴染み、社会的に認知を得るに至ったかの経緯と、ネイル市場分析に基づくサロン導入へのご提案していこう。
80年代というのは、戦後最大の好景気――いわゆる「バブル景気」に沸いた時代。 イラン・イラク戦争の勃発や 天安門事件など、世界が緊迫した空気に包まれる中、日本ではアイドル黄金時代の到来、トレンディドラマが登場し、どこか浮ついた空気が流れていました。ヘアースタイルの傾向から紹介すると、ボディコン&ワンレングスが大流行、続いて、いわゆる聖子ちゃんカット、メンズは、モヒカン刈り、そして、YMOのテクノカット等々でした。 当時のアメリカでは、特に西海岸のビバリーヒルズを筆頭としたサザンカリフォニア地区には、全米はもとより、ヨーロッパ、中南米、アジア等から、大きな目標を持った若き美容師たちが集まり、我こそは世界一とばかり、一握りのセレブ客を獲得するために、自己アピールを繰り広げていました。 そんな時、日本を代表する美容専門誌が初めて主催する「美容師たちのアメリカ研修TOUR」が実行されることになり、そのアメリカにおける研修内容を企画・構成、コーディネイターを引き受けることになり、アメリカン・ビューティのすべてを盛り込んだスケジュールをプロデュースしました。 東海岸(ニューヨーク)では、最先端の美容サロン幾つかの視察と、あの「9.11」最上階でのレセプション。西海岸(ロスアンジェルス)では、ビルトモアホテルでの日米ヘアーショーの開催と共に、当時の日本に紹介されていない広義での美容技術のデモンストレーションを公開致しました。 LAにおける技術デモをセレクトするのに、当時、。血気盛んであった在米日本人美容師のグループ「髪風=KAMIKAZ」の協力を得て、「フロスティング」「ワクシング」などと共に、「アメリカン・ネイル」を選びました。 「ネイル」を選んだ裏付けになったのは、それまで、ヘアーサロンの片隅で行われたマニキュア技術が独立して、街のあちこちに「NAIL」のサインが目立ち、電話帳には見開き2ページにわたり、ネイルサロンが掲載されていたことです。 デモには、ビバリーヒルズでマニキュアリストとして活躍していた日本人を起用し、サロン視察には、アメリカへの移民で苦労なされ、多くの日系人も世話になっているジェシカさんのサンセットのお店を選びました。 このTOURには、日本を代表する美容師・商社・ディーラーなど100名以上が参加しており、これをきっかけに日本でのネイルへの新たな関心が高まり、前者は帰国を機会に、六本木にサロンをオープン、そのプロデュースも担当して、アン山崎としてデビューさせました。後者は、数年後になりますが、そのプロダクツ「JASSICA」の日本代理店が誕生しました。
併行して、語学留学などでLAなどに滞在していたお嬢さん達が、ネイルサロンへ通って繊細なテクニックに魅せられ、帰国後に親の援助を得て趣味を兼ねたサロンも出現、これらがメディアに紹介されたり、又、日本エステシャン協会(現、日本エステティック協会)の幹部有志により、JNA・日本ネイリスト協会が結成されました。これが第一次ネイルブームと呼ばれるモノです。 協会の結成直後にその幹部からオファーがあり、思案六法の末、個人活動を閉じて入会を快諾致しました。しかし当時の日本人気質には離れた存在であり、芸能界を中心としたいわゆるセレブ達にはもてはやされたが、一般への普及へはほど遠く、ブームは長くは続きませんでした。 組織事態も、体系からスタンダード(主旨・目的)まで未完であり、途方に暮れましたが、ネイル大好きな当時の若い女性メンバー達に助けられ、如何にしたら、ネイルを社会的に認知させられるかの追求し始めました。 協会活動を展開するに当たり、まず事務局は発起人から無償提供、事務局長を始め幹部すべてはボランティアにて運営を開始しました。まず、賛同者を増やすために、ネイリスト達のための技術コンテストを開催、「継続は力なり」を信じて、事務局ビルの地下ホールにて毎年続けました。 これに伴い技術教育の為のスクール制度が確立し、これが顧客不足で単独運営が不可能であったネイルサロンへの福音となり、爪先に日をともしてがんばってきた幹部ネイリスト達への活力となりました。
そして、ターニング・ポイントになったのは、「地下室からの脱出」です。 当時のファッションスポットであった、恵比寿のガーデンホールにて、イベントを開催、ネイルコンペティションと共に、ネイルクィーンを発表致しました。関連の広義でのビューティ業界及び、マスメデイアへの訴求も開始しました。多くの人にネイルの魅力をアピールする、起爆剤となりました。 同時に、協会が認定する講師資格を制定し、講師界が誕生、認定スクール制度も確立致しました。更に翌年には、協会運営の基盤となる「ネイリスト技能検定試験」を、多角度から規制の情報を集め開始しました。 現在は独立して、財団法人となり、今春までの延べ受験者総数は、30数万人を数えていますが、第一回の受験生は、みんなで集めた200人足らずでした。 第三次ブームと名付けられたのが、ネイルスクール、検定試験が軌道にのり、それを支えるディーラーが栄え、さらに「ネイルクィーン」に浜崎あゆみさんが、選ばれた時代です。タレントさんを業界がお呼びするには、大きな経費を要しますが、ネイルに関しては、ご本人がオフをとってでも、出たい選ばれたいという希望があり、多少のお支度金以外、ギャラを払ったことは一切ありません。ご多分に漏れず、浜崎さんは3年連続選ばせて頂き、殿堂入り第1号として、永遠にたたえさせて頂いております。以来、ネイル大好き人間は一気に増大して、技術者達は、メディアに向かっても活発に動き始めました。
美容・理容の技術者になるには、現在は2年間の美容学校を卒業して国家試験をとり、美容室での辛く長い助手を経て、プロの技術者になれるのに対して、当時のネイリスト達には、一切の規制がなかったことが幸いして、ネイル大好き人間ががんばれば、半年たらずでお客様の対応が出来、喜びを与えててお金が取れる、いわゆるプロフェッショナルのネイリストとしての道が開けたのです。故に、初期の技術者達は、ほとんどが前職を持つ転向組です。 日本におけるネイル技術は、美容師法による美容<パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること(美容師法第2条第1項)であるが、既得権として、着付を始め、美顔術、化粧など共に、マニキュアが、定められていたと思う。いわゆる今で云うトータルビューティのゼネラリストとして国が認めた唯一の技術者であるハズが、いつの間にかヘア・スタイリングに関する技術追求に特化して関連分野には、別のスペシャリストが存在するのが当たり前の環境が定着されました。 ユーザーの思考が画一的であった時代はさることながら、現代の様に多様化した時代では、それぞれの分野ごとに、スペシャリストが台頭し、いわゆる、エステティシャン、メイクアップアーチストと共に、ネイリストが存在するようになりました。 これは、保守王国の日本に、次々に変革が起きているように、美容業の属する環境衛生16団体の実情から察しますと、現代社会、消費者の多様化に追い付くことは困難でしょう。
日本ネイリスト協会は、元々がネイル大好き人間の集まりであり、その粘り強い、不断の努力の積み重ねが、サロン・スクール・プロダクツ・・業態毎に大きな数字として記録され、協会監修の「ネイル白書」2010−11年度版によれば、2000億市場という、立派な産業として発達致しました。 昨年6月には、厚生労働省が「ネイルサロンにおける衛生基準」の指針を全国の市町村に発布し、初めて美容室とは別の職業としてネイルサロンの存在を認めました。今年は経済産業省の産業分類に記載され各種の保護法が適用されるようがんばります。 ある統計によるとネイル人口の増加は、少子化時代も何のその10代から6−70代に至るまで、毎年10%以上の驚異の伸び率を示しています。しかし日本人特有の器用さも合いもって、セルフネイル、自分でやる人も増えています。これは、美容室におけるカラーリングのようなモノで、自分でも出来る事が手伝って、現在では、日本人で黒髪のままでいる人はほとんど見つけることが出来ないぐらい、ほとんどの女性は染めています。ここまで来るには紆余曲折がありましたが、自分でも染めることが出来る技術だからです。ドラッグストアには、大きなスペースをとり、カラーリング剤を発売しています。 *注目:ユーザーの我欲を満たすダイエット商品・育毛剤も急激に増加 カラーリング人口の拡大は、美容室で染める人が減少どころか、急激での拡大につながっています。これは、ユーザーが自分でも出来ることを他人の手を借りてやってもらう、いわゆる「サービスを受ける」心地よさに慕っているのです。ネイルという小さな贅沢は、女性のおしゃれ心にヒットしたのです。 ネイルのお手入れに大きな価値観を持って頂いている方のなかでも、お金に余裕のある人は、レギュラー客としてサロンを愛用していただけるでしょうが、賢いユーザーは、これからもネイルサロンを使い分けるでしょう。 器用な方は、ご自分でお手入れをして、ネイルアートにも挑戦しています。これは、広義でのネイル産業の発展には、著しく寄与してくれています。 そして、プロフェッショナルの技術の難しさ、素晴らしさが見直されます。 例えば、野球やゴルフの大好き人達が、なぜお金を出してまで、イチローや石川遼を観に行くのか、それは自分がやればやるほど、その難しさが解るからデス。「さすがプロ」も浸透してくれるのです。 普段のお手入れはご自分でなされ、特別なときだけサロンに行き、技術サービスを受けることの心地よさ・・特別なときだけ、プロの技術をうける。こんな人たちが増えてくるでしょう。 ネイルを愛する人たちは、ここ5,6年は、右肩上がりに増えていますが、ネイルサロンの数は、未だ推定10000軒で美容室の10分の1以下です。ヘアーサロン、エステサロンが、ネイルサロンと同様なテクニックとポスピタリティを持っていただけるならば、賢いユーザーは、時間短縮になる総合サロンを選んでくれる事でしょう。これにはもう少々時間がかかると想定します。
デフレスパイラル、100年に一度の大不況とまで云われて、2011年がスタートし、消費者の財布の紐は堅くなり、美容を含めた満足を求める出費に大きな影響が出始めていました。そこへ、今回の未曾有な震災がおきました。未だに、社会全体の興奮状態がさめやらないが、冷静になるにつれ、その影響度、深刻さが表面化してくるでしょう。
そんな環境の中では、新たなパラダイムシステムが必要になるでしょう。
ALLWAYS NEW 日々新たにせん 藤 原 洋 二
→戻る |
|
|