■ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・2004・・[ネイル創世記A] 社会認知目ざし大同に付く |
1985年、新たにネイルビジネスを立ち上げ、サロン(NAIL-AIR)・スクール(JNA・日本ネイルアーチスト協会) などの活動が軌道に乗り始めてから数年後に、日本エステティシャン協会(芝山みよか会長)の有志により結成された JNA(日本ネイリスト協会・月乃桂子会長)発起人のメロス科学の北村晋さんからオファーがきました。 思案六法、名称も似たりで近未来のネイル繁栄、社会認知には一本化は不可欠、素直に参加を承諾致しました。 すぐに、20代のネイリスト志望の若き技術者たち(田中優子、木下美穂里、沢野智恵、斉藤直見・・)と共に、 協会のまずインフラの整備、それからスタンダードの確立、技術体系の統一の為に、基本テキスト3部作作成、 教本出版(ネイルテクノロジー日本語版)など・・、魅力あふれる骨格造りからスタートさせました。
日本におけるネイル業界事情は、協会結成以前には、アメリカ仕込の技術者(シェリー上田)さんが担当していた ジョン・シェパード(千昌夫の前妻)のアメリカンネイルが風靡しており、当時プロデュースを担当していた 理美容の祭典「ビュートピア」に、ベストネイル部門を創設させ、早速、表彰させて頂きました。
協会は、ネイルを普及させるために、東京・大阪にて華やかにイベントを展開、当初はスポンサーも多く 華やかに開催されたが、余りにもマーケットが狭く以後低迷を続け、冬の時代を迎えました。 事務局長(柳沢雅人)には、暫くはボランティアで勤めていただきながら、赤坂(ドーワプランニング=中村洋二社長) から、日比谷(株式会社滝川・ネイルSHOP「ペロロ」=滝川晃一社長)そして、池袋(メロス化学=北村晋社長)へと 事務局の所在地を移動させながら訴求に努めました。
幹部ネイリストの皆さんは、「継続は力なり」を信じ、爪先に火を灯し、地下ホール(アーケスト)にて、 コンテストだけは毎年開催し、続々と次代を担うチャンピオンたちを生み出しました。
2004.4.20 <原文>
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