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■ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・2004・・[ネイル創世記@] LAデモに山崎充子を起用 

 
日本で主流になっている「アメリカンネイル」がどの様にして上陸してきたかを記憶を基に記しておこう

 1983年、当時、美容界のトップジャーナル(新美容出版)の編集部(千葉茂さん)から、同社が始めて企画する
アメリカ視察ツアー(ニューヨークーロスアンジェルスーホノルル)のお話を頂き、プロデュースを任されました。

 NYは、マンハッタンの床屋モモタローさんに依頼して、NYっ子に人気のあるサロンを数件ご案内して頂きました。
さらに、悪夢の9.11、あのツインタワーの最上階(110階)にてメーカー招待のパーティを盛大に開きました。

 LAにおいては、日本で未だ普及されていない分野の美容テクニックを選び、ライブで紹介してことになり
LAの日本人美容師グループ「髪風」(北村ヒロシ・モギ・ミツ・・)の若手メンバーを総動員して、リサーチの上、
5種類の新たなテクニックを選び、その目玉としたのが「ネイル」でした。
ビバリーヒルズを始め、美容室だけでなく専門店も出来はじめており、東洋人の繊細な技術が注目を浴びていました。
サロン視察は、サンセットプラザの「ジェシカ」。技術は、通訳を兼ね「メナジトア」の日本人アツコを抜擢しました。
デモの会場は、同じプラザの「ユキ(武井友之)」をお借りして、日本人向けのネイル・パフォーマンスを展開しました。
 
 ツアーには、日本を代表する150名程の著名美容師、ディーラーが参加していましたので、このアピール・デモが
アメリカンネイルの日本上陸へのターニングポイントになりました。

 その後、アツコが帰国、アン山崎と改名させ、六本木の勝目礼子さんのご好意により、芋洗坂の「インターカット」内に、
共同経営で「ベルエア」というネイルサロンを出店しました。さらに、日本におけるアメリカンネイルの普及を目指し
JNCAという協会を創り、USAミカレディ社の「ネイルテクノロジー」翻訳をはじめ、訴求活動を展開しました。
 
 サロンには、当時、超多忙であった芳村真理さんには随分とお世話になり、若いタレントさんを多く紹介していただき、
第一次ブームのきっかけが出来ました。アツコは自身の信念を通して独立「ネイルバンク」を立ち上げました。

                          2004.4.10 <原文>


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