フジワライズム
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■ 第 2回   アン山崎(山崎 充子) ・・・・・  vol.20  1997年10月

現在のネイル・ビジネスの隆盛ぶりをマスコミは“第三次ブーム”と呼んでいるが、それでは、第一次ブームとは、何時だったのか、その辺をお話ししましょう。
サザン・カリフォルニアの高級住宅街ビバリーヒルズの外れに日系人のおばさんが経営する美容室「メナージュ・ア・トア」が
あります。日本から行った美容留学生でお世話になった子は数え切れないほどいます。ヘアーのブースが10、ネイルのテーブルが4〜5位ある中型のサロンで、常に5,6人の日本人が働いていました。
山崎充子もその中の一人でマニキュアリストとして活躍していましたが、商社マンであるご主人が日本へ転勤することになり、
それをきっかけに東京でチャレンジしたいとの強い要望が、後見人のLA美容師のボスを通じてあり、コーディネイトを引き受けました。そして、オーナーがカリフォルニアで活躍したことのある六本木の美容室「インターカット」にネイルコーナーを設けることになりました。
当時の日本では、ネイルを愛好する人といえば、ジョン・シェパードさん位でまだまだ知名度は低く、充子のタレント性を
引き出しプロモーション活動をするために、ご本人のLAでの経歴、ポリシー、そして愛称までをつくりあげ、ここで「アン山崎」という名前と「ビバリーヒルズからやってきたネイリスト」としてのイメージが誕生しました。
きっかけとなったのは後年いろいろな問題が起きてしまっいたので伏せますが、タレントのMYさんがLAのネイルサロンへ出入りしていたのをよく見かけていたので「日本でも出来るようになりましたョ」と教えてあげたら、すぐに常連客になってくれ、親分肌の彼女の紹介で、若いタレントさんが訪れるようになり、芸能界・ファッション界から有閑マダム・水商売まで浸透し、マスコミも上流社会の技術職と書き立ててくれました。これが、第一次ブームと言われるモノです。
これを機会に講習活動をスタート。初期の受講生には、現在著名なネイリストとして活躍している人もかなりいます。
サロン活動においても後年独立した「ネイルバンク」を始め、一流サロンに成長した「ロングル・アージュ」「りボーン」など
これらすべて彼女の遺産と云えよう。アメリカンナイズされた彼女のバイタリティあふれる行動力には、振り廻された人も多かったでしょう。本人には、他人に云えぬ病みがあり心配していたが無理がたたり、野望途中で逝ってしまったのは、たいへんおしまれます。しかし、業界現状を見るとアンイズムはあちこちで生きており、サロンのお客扱いポイントから、スクールの高額の受講料まで、良くも悪しくも影響を与えています。
最後にアン語録を並べておきましょう。
「アメリカでは、ごく当たり前の身だしなみ」「日本人の爪は比較的強いが、白人の爪は薄くて弱い」「たかが爪、されど爪」「爪のおしゃれは心の余裕の象徴」「爪は身体の一部である、ベーシックケアを大切に」「まず、ベースがあって、そこにカラーを加え、さらにイメージを広げていくべき」。。。
写真を提供してくれた一番弟子の合志知江子さんは、「今日あるのは、アン先生のお陰です」と結んでくれた。


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