■ 第24回 グレゴリ-・サロ [Young] ・・・ vol.42 2003年4月 |
「ジェルネイル」がにわかに脚光を浴びてきました。先月実施された、ジェル初めての本格的イベント「Gel&Air Conference 2003」では、検定試験の最中にもかかわらず2000人以上のネイリストが集まり、ジェル部門コンテストにはフルエントリー240名の選手が出場しました。つい半年前までは考えられないことでした。 このイベントはジェルメーカー4社が、ジェル訴求を目的に共同主催したもので、各メーカーのプレゼンテーションはもとより、協会講師会会長を始めベストメンバーが審査委員を務め、ハイレベルの競技が展開されました。スペシャルゲストのトム・ホルコムもステージにて果敢にジェルにチャレンジをしてくれました。 USAジェルメーカーの代表として来日したアーチストの中から、とてもユニークな人気者、スキンヘッドのグレゴリー・ソロ(愛称:グレッグ)を紹介しよう。 生まれは1971年11月21日。家族構成は両親と弟の4人。父親は車の整備士、お母さんが「ヤングネイルズ」の社長、弟さんは同社の経理を担当しています。初めての仕事は、14才の時で、ピザ屋さんで働きました。 幼い頃から、スキーが大好きで、コロラドで山岳パトロール隊に入ることを夢見ていました。 大学では、エンジニアコースに進み、数学と科学を専攻していましたし、山で住み、山で働きたいと思って居ましたので、まさか「マニキュアリスト」になるなんてとても思っても見なかったようです。 どちらかというと、体育会系で、美容関係には無縁だったグレッグが、ネイルと出会いは「母親の仕事だった事と、それに関わってしまったため」との事デス。 現在は、「ヤングネイル」メーカーの副社長という肩書を持ち、クリスティーナの猛特訓を受けて、ネイリストの指導者として国際舞台で活躍する一方、商品開発にも余念がない。ヤングのジェル製品はグレッグの経験からあみだされたものも少なくない。 初来日は3年前の「メサゴ」からで、ビッグイベントには必ず来日している。仕事で、世界中を飛び廻っているが、「初めて東京に来たときに世界一すごい都市だと思いました」そして「日本は大変規律正しいというのが第一印象でした」という。日本での楽しみは、アフターワークの<サケ・タイム>とか、日本酒には目がない。 グレッグは云う「私は、認識と考慮と教育がモットーであり、直接、あるいは間接的に指導したプロ、あるいはアマチュのネイリストが素晴らしい成績をだして成功するのを見る事はとても誇りに思う」 更に「母の仕事を手伝っているのは、メーカーとしてのネイリスト達が望むプロ用の材料を開発し業界を発展させたいと思ったからです、他のメーカーーには絶対に負けない特徴としては、我々の製品は最高の材料で生産されています」そして「私のゴールはネイリスト達をサロンで成功させるお手伝いをすることです」と胸を張った。 「メーカーはもっと教育の時間を持つべきだと思います。教育はネイルサロンのレベルを高めるからです」 「日本におけるネイル産業のありかたはサロンによりよいサービスと指導をすることだと思います」と語った。ジェルネイルの利点として「シールドし、保護することによって自爪の質を高めることにあると思います」 ネイル以外での夢は、「いつの日かプロのゴルファーになりたいと思ってます」プライベートの趣味はスキー、ゴルフ、車、自転車、それとビデオゲームに夢中。 そういえば、ジェルメーカーにはスキンヘッドが多い?理由を聞いたら「22才で禿げはじめ、頭そのものの形が良かったので毎日少ない毛をブラシするよりと剃りました」 そして最後に「私の人生に自分の持っているもの全て与えてくれた母に感謝します」と結んでくれた。
<2003年4月記 原文>
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