■ 第23回 新岡 潤子 ・・・・・・・・・・・・・・ vol.41 2003年1月 |
協会の常任理事講師として、常に平常心で物事に対応してくれる叔母さま、新岡さんの登場です。 お父さんは高等学校の教師、祖父母・ご両親・妹弟に囲まれ青森県で育つ、小さい時は、他の人と同じ事をやるのが苦手で、手作り人形の洋服をデザインしたりの、一人遊びにが大好きな子でした。 大学時代には、熊谷守一の温和な画風に出合って絵画にハマリ、鑑賞することは勿論、抽象画を描くことも大好きになった。地元(青森)の放送局にご本人曰く高額の初任給で就職した時には、番組編成での穴埋めとか、洋盤ヒットチャート選曲で、アコースティックサウンド・ブリティッシュロックにも浸っていた。絵画・音楽のあらゆるジャンルのアートには目がなく没頭し、結果暫くの間プータロー生活を余儀なくされてしまった。 5年後、当時はレアであった「アロマテラピー」や、香粧学に興味を示し、潟<鴻X化学に入社。 ネイルと初めて出会ったのは、会社側がアメリカ・ジェシカ社の日本総代理店としてサインした入社5年目でした。急遽、プロダクツ販売と技術教育に従事することになり、そして、カリフォルニアのジェシカ本社に於いて、トレーニング&トレーニングの特訓で涙を流し、技術を身体で覚えたことが、いまの自分にとっては、楽しい体験であり、一番効果的であったと思っているとのこと。 新岡さんの師である、ジェシカ・ヴァルトキアンさんは、「爪は生まれながらものではなく、育むものである」との名言と共に、アメリカンネイルケアの先駆者と呼ばれています。 1985年当時からケア一の必要性を語り、最近でこそ、他のメーカーも多種のベースコートを発売しているが、爪のタイプ別に分けて健康な爪に蘇らせるためのプロダクツを早くから開発商品化している点は、世界的に高く評価されています。彼女は、現在の日本のネイリスト達に伝えたいことがたくさんある様でEXPOでお会いした時に「今度は日本語でお話しする」と、マジ顔で云ってました。 新岡さんに<ケアのオオソリティ>として語ってもらうと「ジェシカプロダクツの魅力は、使えば使うほど、その素晴らしさが現れてきます。爪に合ったベースコートを正しく使用していただくことにより、きれいなネイルプレートになった人たちにたくさん出会えたこと。さらに私の爪が折れなくなり、スカルプチアと間違えられる立派な爪を保持できていることに誇りを感じます」「日本のネイル技術は、アメリカンコピーからスタートしましたが、その風土・気質に支えられ日本民族の特徴を背景にして、独自のネイル文化画創られつつあります、やがて、独特な美しいナチュラルネイル形式を育んで行くことでしょう」「コンテストも、形(フリーエッジの長さ)と色(カラーの限定をしない)を自由にして、<出来上がりが美しい>を競わせるものになった時、初めて、真の消費者支持が得られることでしょう」 協会の運営については「発足当時の、常任理事の先生たちと手を携えて、コンテストの出場者を確保するために必死だったころに比べると隔世の感がします。<初心、忘るべからず>をモットーの1つにしていきたいと思います。EXPOについては、新しい産業に参入した人たちが寄り集まって、自分たちの力で開催される大会は、他に類を見ないと思います。会員の皆さんがネイル産業を担っている1人であると云う自負のもとに引き継がれていって欲しいです」と、熱く語った。 趣味をお聞きすると「夢中になるモノも少なくなりましたが、陶器・ガラス器・骨董を眺めるが好きです」。座右の銘は「人は、風に戦ぐ葦である」
<2003年1月記 原文>
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