■ 第10回 トラン・グエン [ODSEY] ・・ vol.28 1999年10月 |
アメリカンネイル発祥の地と言ってもよいカリフォルニアには、多くのネイルサロンが集中しています。ネイルのお手入れが文化のバロメーターとまで言われた昔話になりますが、ビバリーヒルズの商業地区やハリウッドの丘の麓のサロンでは、エレガンスな雰囲気のサロンでお客様とマニキュアリストが一体となって優雅なシーンを醸し出していました。当時それに憧れてネイルを始めた人はたくさんいます。 時代は変わり、新天地に夢を求めてアメリカにやってきた移民の人達が、いろいろな職業で活躍するようになり、単なる下級労働よりはず〜と収入のよい技術者につく人が増えてきました。NAILには手先の器用なアジア人が目立ち、中でもベトナム人の経営するサロンは、技術が巧く、料金が安く、時間も早くできるということで、評判が高く、大きなブームにまでなっています。そのベトナム人の中から、一人の英雄が誕生いたしました。彼の名はトラン・グエン。父は南ベトナムの陸軍大尉でした。1965年に生まれ、1981年16歳の時にアメリカにやってきました。小さいときはパイロットに憧れていましたが、ハイスクール卒業後はエンジニアリングの専門校に学びました。 トラン君は生まれながらの負けず嫌いの性格でした。今はリタイヤしている父親がベトナム終戦に戦犯として捕らわれてしまいましたので、より強くならざろう得なかったのです。そんな彼がネイリストになったきっかけは、人との出会いが大好きで、人を幸せにする仕事をしたかったからです。ネイルがやさしい心を開いてくれました。 叔母さんの経営していたネイルスクールに学び、コンテストにでるようになりました。 コンテストは、いろいろな人との出会いの場であり、自分の技術レベルを教えてくれます。 さらに持ち前の強い競争心から数々の戦績を残しました。大小合わせて優勝回数なんと120回以上、入賞を含めると300回以上にもなるそうです。主なタイトルは、フロリダ・カリフォルニア・アトランタ・ジョージアの各州のチャンピオン、グランドマスターチャンピオン(LASVEGAS)2度のWINBA世界チャンピオン、1998年全米第1位等輝かしいものです。 現在は、現役選手を引退して、世界中のネイリストに正しい知識と技術のすべてを伝えるために‘チーム・オデッセイ’の仲間と世界を飛び廻り指導すると共に、安全で、簡単で、高品質のプロダクツづくりに専念しています。 日本の印象は、「ネイリストの皆さんがとても熱心で、素直な練習振りに驚かされました。コンテストが、とても魅力的に構成してあり、選手たちにはよい記念になることでしょう。11月のネイル国連発足を兼ねたNAIL EXPO99に審査委員として東京に行けることは大変光栄であり、楽しみにしています」とのこと。 さらに「日本には、もう少しでアメリカの大会でも十分に活躍できる選手がたくさんいます。チャンピオンになる秘訣は、教わってきたことを信じて練習、練習、練習です。決してギブアップしないことです。皆さん、がんばって下さい。」とのエールを送ってくれました。日本のネイルビジネスに話しが及ぶと、教育事業やコンテストが中心とした急成長ぶりにはビックリした様子で「ネイルサロンが活性化してほしい。それも、一部のお金持ちの人達だけが行くところではなく、すべての女性がリーズナブルな料金で気軽にネイルを楽しめる、そんなネイル環境を是非創ってほしい、それでこそ当のビックビジネスになる」と、力説していました。 さすが、多くの難関を乗り越えてきたグエンの言葉には説得力がる、日本の現状を見抜いた愛情溢れる鋭い指摘として、多くの人に受け止めてもらいたい。
<1999年10月記 原文>
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